すが田の歴史

初代

初代 菅田 吉太郎

宮古湾海戦といかせんべい誕生

明治2年3月25日、官軍の軍艦甲鉄以下八隻は、函館にたてこもる榎本武陽の率いる幕軍を討つべく江戸品川港を出港。
途中、将兵の休養、食料等の補給の為に宮古に寄港。
この時まさに史上にのこる宮古湾海戦となった。宮古は、官軍の将兵大挙上陸により空前の賑わいを示していた。

初代吉太郎はこの時製菓業を営んでいたが、このチャンスに海産物を利用した珍菓を売りだせないものかと考え、 当時宮古の特産の乾するめに着眼し、いかせんべいのもととなる試作品を献上し、官軍将兵から多いに好評を得る。
この時のいかせんべいはスルメの煮出しと砂糖・小麦を練り合わせカキモチ様に焼き上げたものであった。

宮古湾海戦
宮古湾海戦
明治14年
献上したいかせんべいをさらに工夫改良し、スルメの粉をまぜることによって風味豊かな現在のいかせんべいの原型ができる。
当時、吉太郎はいかせんべい以外にも、おこし、焼菓子、らくがん等を荷車につんで行商を行っていた。
二代目

二代目 菅田 吉郎

製品をいかせんべいに一本化

創業者吉太郎の次男として生まれる。
吉太郎の後をついで、家業にはげむ。

この頃、いかせんべいは主力製品ではなく、和菓子が中心で、その他に、おこし、らくがん、駄菓子などを荷車につんで街々を行商して歩く。

宮古市本町に店舗を開く。
この頃から、菓子原料、器具、道具が手に入りやすくなり、2代目吉郎はいかせんべいの一本化を考える。

向かって左が二代目 菅田吉郎
昭和15年9月
本町から現在の中央通(下町)に移転。
この店舗移転と同時に取扱商品をいかせんべい一本のみとする。
昭和26年
家業を正一にゆずる(3代目)
昭和29年4月
現在の本店所在地(黒田町)に店舗を移転
昭和36年4月13日
第15回全国菓子大博覧会 愛知県大会に初めて出展 金賞受賞
昭和40年5月4日
第16回全国菓子大博覧会 秋田県大会にて金賞受賞
昭和43年4月25日
第17回全国菓子大博覧会 北海道大会にて名誉金賞受賞
二代目の家族と職人さん
二代目の家族と職人さん
三代目

三代目 菅田 正一

受賞の数々と法人化

昭和49年5月21日
第25回全国植樹祭において、天皇皇后両陛下へ、いかせんべい献上。感謝状を受ける。
昭和54年4月10日
有限会社すがた設立
昭和59年3月7日
第20回全国菓子大博覧会 東京大会にて名誉大賞受賞
平成6年
第22回全国菓子大博覧会石川県大会にて「菓子博栄誉賞」受賞
平成10年4月24日
第23回全国菓子大博覧会岩手県大会にて最高峰の名誉総裁賞受賞
平成11年11月1日
創業120年を記念して、支店工場を藤原に新設
平成14年11月17日
第24回全国菓子大博覧会 熊本県大会にて茶道家元賞受賞
(茶道裏千家家元 利休居士第15世より)
名誉総裁賞受賞
四代目

四代目 菅田 正義

衛生管理推進と東日本大震災

平成15年5月8日
四代目として代表取締役就任
平成17年3月
欧米輸出販売を目標に衛生管理システムHACCPへ取り組み中
平成20年
ミニサイズいかせんべい『まごいかせんべい』開発
下閉伊地区特産品コンクール金賞受賞
平成23年
東日本大震災により店舗・工場ともに全壊。営業停止を余儀なくされるが、同年5月13日に再開
平成25
宮古市花輪地区に新工場新設
四代目 菅田正義
五代目

五代目 星野 正徳

平成29年
五代目として代表取締役就任
令和5年
すが田 花輪工場 落成10周年を記念して工場祭を開催。
花輪工場 落成10周年記念
三陸海岸イメージ(浄土ヶ浜)

岩手・三陸銘菓 元祖 すが田のいかせんべい

明治14年の当時、東北のこの宮古の地は、海原に太平洋を有し、黒潮と親潮のぶつかる日本でも有数の漁場として名を馳せていました。『元祖 すが田のいかせんべい』は、この漁場豊かな三陸沖で獲れるイカをつかい、その味と風味にこだわった煎餅です。どうぞご賞味ください。